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トピック|オスロ国立美術館

ムンクと《叫び》

「叫んでいる」のは、誰なのか

世界で最も有名な絵のひとつ。でも「何を描いた絵か」を正確に知っている人は少ない。現地で実物を前にしたとき、この絵の見え方が変わる情報をまとめました。

《叫び》とはどんな作品か

1893年にムンクが制作した油彩画です。橋の上で両手を頬に当て、口を大きく開けた人物と、血のように赤く渦巻く空が描かれています。

タイトルの原語はドイツ語で「Der Schrei der Natur(自然の叫び)」。「人物の叫び」ではなく「自然の叫び」です。この一点を知るだけで、絵の見え方がまったく変わります。

絵の中の人物は叫んでいるのではなく、自然が発する「叫び」を聞いて恐怖し、耳を塞いでいる姿です。主体は人物ではなく、血のように染まった空と、うねる風景そのものです。

表現主義の代表作として美術史に刻まれており、「近代のモナ・リザ」とも評されています。《叫び》はムンクが生涯をかけて取り組んだ大連作「生命のフリーズ(Frieze of Life)」の一部で、愛・不安・死をテーマにした作品群の中核に位置します。

ムンクの日記に残された体験

《叫び》はムンク自身が体験した出来事をもとに描かれています。1892年1月22日の日記には、その瞬間がこう記されています。

私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が血のように赤く染まった。私は立ち止まり、疲れを感じて柵にもたれた。青黒いフィヨルドと街並みの上に、炎と血の舌が広がっていた。友人たちは歩き続けたが、私はそこに立ち尽くし、不安に震え、自然を貫く果てしない叫びを聞いた。 — エドヴァルド・ムンク 日記(1892年1月22日)

この場所は、オスロ郊外のエーケベルグの丘から街とオスロフィヨルドを見下ろす道で、実在するスポットです。当時、この丘のふもとには精神病院があり、ちょうどそのころムンクの妹が入院していました。

《叫び》をめぐる謎と知られざる事実

赤い空の謎

血のように真っ赤な空の理由として有力なのが、1883〜84年のクラカトア火山噴火説です。この大噴火で成層圏に漂った火山灰が、世界中で異様な夕焼けを引き起こしました。《叫び》制作はその10年後ですが、ムンクの記憶に焼き付いていた可能性があります。ほかに、近くの屠殺場から連想した「血」のイメージとする説もあります。

隠されたメッセージ

国立美術館所蔵の油彩版の左上隅に、「狂人のみが描くことができる!」という鉛筆書きがあります。肉眼ではほぼ見えないほど小さく、長年「批評家や来場者が書いたもの」とされていました。しかし2021年の赤外線調査と筆跡鑑定により、ムンク自身が書いたと結論付けられています。発表当時に受けた批評(精神状態を疑う声)への、無言の反論とも見られています。

2度の盗難

《叫び》は2度盗まれています。1度目は1994年2月12日——リレハンメル冬季オリンピック開会式の当日でした。窃盗犯は梯子で2階の窓から侵入し、わずか50秒で持ち去ったとされています。約3ヶ月後に奪還。2度目は2004年、白昼の強盗により「マドンナ」とともに奪われ、2年後に損傷した状態で発見されました。

人物は「誰」でもない

中央の人物には性別も年齢も特定できる描写がありません。意図的に「誰でもある」存在として描かれたとも解釈されています。見た人が自分自身の不安や恐怖を重ねられるよう、匿名性を持たせたという考え方です。

史上最高額の落札

2012年のオークションで、個人所蔵のパステル画版《叫び》が約1億2000万ドル(当時約96億円)で落札されました。当時の絵画オークション史上最高額の記録です。これほどの価格がつく作品を、ガラスも柵もなく間近で見られるのがオスロ国立美術館の貴重さです。

世界的な「アイコン」へ

《叫び》の構図は、映画・漫画・絵文字・パロディ広告など、現代のポップカルチャーに無数に引用されています。ホラー映画「スクリーム」のマスクもこの絵がモデルです。「見たことはあるが、何の絵かは知らない」という状態から、ぜひ「知っている絵」として実物に向き合ってみてください。

ムンクの人生——「不安」はどこから来たか

エドヴァルド・ムンクは1863年、ノルウェー生まれ。翌年、一家は首都クリスチャニア(現・オスロ)に移住しました。

幼少期から、ムンクの身近には「死」がありました。5歳で母を亡くし、14歳で最愛の姉を肺結核で失います。父親は宗教的に厳格な人物で、幼いムンクに地獄や死の恐怖を語り聞かせたとも伝えられています。

こうした体験がムンクの作品の根底にあります。「愛」「不安」「死」をテーマにした《生命のフリーズ》は、自分の人生そのものを絵画で語ろうとした試みでした。

発表当時は酷評された

《叫び》を含む作品群は発表当初、評論家に酷評されました。1892年にベルリンで開いた個展は、皇帝の不興を買い会期中に打ち切られるという事態にまでなっています。しかしこの騒動が逆に名前を広め、その後の評価の礎になりました。

1908年には精神病院に入院。退院後は穏やかな晩年を過ごし、自然や農作業の風景を描くようになります。生前にオスロ市へ約2万8000点の作品を寄贈し、1944年に81歳で没しました。

ムンクの「不安」や「死」への執着は、単なる個人的な暗さではなく、19世紀末ヨーロッパ全体に漂っていた「世紀末の不安」とも共鳴していました。だからこそ《叫び》は、100年以上たった今も世界中の人の胸を打つのかもしれません。

《叫び》は何点存在するか

ムンクは同じ構図の《叫び》を複数の画材・バリエーションで制作しています。

制作年 画材 所蔵
1893年 油彩(最も有名なバージョン) オスロ国立美術館 ← ツアーで訪問
1893年 パステル画 オスロ ムンク美術館
1895年 パステル画(個人蔵) 2012年に約96億円で落札
1895年 リトグラフ(版画・限定45枚) 各地の美術館・個人
1910年ごろ テンペラ・油彩 オスロ ムンク美術館

国立美術館にある1893年の油彩版が、世界的に最もよく知られている《叫び》です。

実物を前にしたときの鑑賞ポイント

  1. まず「保護柵がない」ことに驚く ルーヴルの《モナ・リザ》とは違い、《叫び》の前には接近防止の柵も保護ガラスもありません。世界的な名作をこれほど間近に見られる美術館は珍しいです。近づいて、絵の表面の質感、絵の具の盛り上がり、色の境界線を確認してみてください。
  2. 人物ではなく「空と風景」を見る ついつい中央の人物に目が行きますが、この絵の主役は赤く渦巻く空とうねる風景です。人物を視界の端に置いて、空の色の変化と波打つ曲線を追ってみると、「自然の叫び」という原題の意味が実感できます。
  3. 左上隅の鉛筆書きを探してみる 「狂人のみが描くことができる!」というムンク自身の書き込みが左上隅にあります。肉眼ではほぼ見えないほど小さいのですが、「そこにある」と知って見ると、絵との距離が縮まります。
  4. 60番の部屋を目指す 《叫び》は2階の60番の部屋に展示されています。360度すべての壁にムンク作品が掛かる特別な展示室で、《生命のダンス》など他の代表作も同じ空間で見られます。部屋に入ったとき正面に《叫び》があります。
  5. 「なぜこの人は不安だったのか」を思い浮かべる 5歳で母を、14歳で姉を亡くしたムンクが、エーケベルグの丘で赤い空を見て「自然の叫びを聞いた」瞬間。その記憶を10年かけて絵にした。それが《叫び》です。技法より先に、その「背景」を知って見ると、感じ方が変わります。

オスロ国立美術館について

2022年6月にリニューアルオープンした、北欧最大級の美術館です。オスロ市内にあった複数の旧美術館を統合して建設されました。

収蔵点数40万点以上
常設展示6,500点以上
《叫び》の場所2階・60番の部屋
展示スタイル保護ガラス・柵なし

ツアーでの美術館訪問は添乗員・ガイドの案内に従います。自由行動の時間に単独で再訪する場合は、入館料や開館時間を事前に確認してください。

まとめ:《叫び》を見る前に覚えておきたいこと

  • 叫んでいるのは人物ではなく「自然」——人物は耳を塞いでいる
  • 原題は「自然の叫び(Der Schrei der Natur)」
  • 描かれた場所はオスロ郊外・エーケベルグの丘の実在する道
  • ムンクは5歳で母、14歳で姉を亡くし、「不安」を生涯のテーマにした
  • 左上隅の鉛筆書きは、ムンク自身が書いたと2021年に判明
  • 1994年と2004年の2度、盗難に遭っている
  • 国立美術館の油彩版はガラスも柵もなく、間近で見られる
  • 2階・60番の部屋、部屋に入ると正面に飾られている